育児 イライラ

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 記者は、共働きの妻、保育園に通う娘(3)と3人暮らし。産後の1年間、育児休業中の妻は「ワンオペ育児」状態だった。妻の職場復帰を機に、家事や育児を2人で書き出し、均等に割り振った。

 昨年、「記者が聞く 父親の心得」という企画で体験をつづった。その時、家事や育児負担のイライラが募って「妻とのいさかいが絶えない」と書いた。ただ、別に目を向けるべきこともあった。仕事と家庭のやりくりからくるモヤモヤが、イライラの正体だったということだ。

 当時、娘は早ければ午前5時ごろに起きていた。イヤイヤ期も重なり、慢性的に寝不足で疲れていた。その上、保育園の送り迎えがある日は、午前9時ごろに出社し午後6時ごろに退社するスケジュールで、以前と比べ仕事に使える時間は限られていた。

 お迎えの時間になれば、仕事は打ち切らざるを得ない。長時間労働が染みつき、働いた時間量で評価する自分もいたのだろう。「早く帰って大丈夫か」と不安になった。仕事優先の時代は、夜の勉強会や週末のシンポジウムで知見を広げた。そうした機会が減って吸収量が減り、干上がっていくような感覚もあった。上司にさらなる働きを「期待」されると、応えられないことにほぞをかんだ。

 夜に急ぎの取材が入った場合は、妻に相談してお迎えを代わってもらうなどした。ただ、頻繁にはお願いできない。一方、私が抜けた分は上司や同僚がカバーすることになる。妻にも、職場にも、申し訳ない気持ちが募った。

 行き場のない気持ちからくるいら立ちは、妻に向かった。子どもの夕食を食べさせ、洗い物をすることを自ら買って出たのに、一休みする妻に腹を立てたこともある。完全な独り相撲だ。仕事を切り上げて自宅で子どもと遊んでいる時、「このままでよいのだろうか」と思う時もあった。

 当時の私は、モヤモヤをはき出せないでいた。共働き世帯全体に目を移せば、家事・育児関連時間(1日平均)は、2016年時点で夫は46分。妻の6分の1にも満たない。こうした格差に代表されるように、家庭で厳しい状況に置かれているのは多くの場合、母親だ。そんな状況を考えると、家事育児の半分を担った程度で、それも父親が、モヤモヤを語ることははばかられたのだった。

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内田樹 安倍晋三大研究 対談

内田樹の研究室


東京新聞の望月衣塑子さんと特別取材班による『安倍晋三大研究』(KKベストセラーズ)の中で望月さんと対談をしている。その中の私の発言の一部を「予告編」として掲載する。

今回のトランプ来日の「異例の接待」に安倍政権の従属的本質が露呈したが、その仕組みについても私見を述べている。

 安倍さんがつく嘘には、「シナリオがある嘘」と「シナリオのない嘘」の二つがあるみたいですね。とっさに口を衝いて出た「シナリオがない嘘」から始まって、「シナリオのある嘘」へと移ってゆく。

 もろもろ不祥事のきっかけは、首相の意図せざる失言です。「それは言ってはダメ」ということを不用意に洩らしてしまう。その場で自分を大きく見せようとしたり、相手の主張を頭ごなしに否定するために「言わなくてもいいこと」を口走ってしまう。その点については自制心のない人だと思います。「その点についてはさきほどは間違ったことを申し上げました。お詫びします」とちょっと頭を下げれば済むことなのに、頑強に誤まったことを拒否する。

 性格的に自分の非を認めることがよほど嫌なんでしょうね。だから、明らかに間違ったことを言った場合でも、「そんなことは言っていない」「それは皆さんの解釈が間違っている」と強弁する。「立法府の長です」なんていう言い間違いは、国会で平身低頭して謝らないと許されない言い間違えですけれど、これについても絶対に謝らなかったですね。間違いを認めず、勝手に議事録を改竄した。

立法府の長」とか「私や妻が関係していれば」発言がその典型ですけれど、不用意なことをつい口走ってしまう。その失敗を糊塗するために、官僚が走り回って、つじつまを合わせて、もともと言ったことが「嘘ではないこと」にする。首相の不作為の「言い損ない」がまずあって、それをとりつくろうために官僚たちが「シナリオのある嘘」を仕込む。第二の嘘には間違いなく「シナリオライター」がいると思います。誰か「嘘の指南役」がいて、「こういうステートメントでないと、前言との整合性がとれないから、これ以外のことは言ってダメです」というシナリオを誰かが書いている。(...)

 こういう違法行為で最終的に罪に問われるのは、実行犯である官僚たちなわけですよね。政治家はあくまで「私は知らない。そんな指示を出した覚えはない」と言い張る。それに、官僚たちにしても、たしかに具体的な指示を聞いたわけではないんです。上の人間に皆まで言わせず、その意向を察知して、「万事心得ておりますから、お任せください」と胸を叩くようなタイプでないと出世できない。だから、「忖度」というのは政治家と官僚が「阿吽の呼吸」で仕事をしている限り、原理的にはなくなることはないと思います。
(...)

 首相の「とにかく非を認めるのが嫌だ」という頑なさは常軌を逸していると思います。でも、人は失敗を認めないと、誤りの修正ができない。失敗を認めない人は同じ失敗を繰り返す。過去の失敗だけでなく、これから取り組む政治課題についても、自分の能力が足りないから「できない」ということ言いたくない。だから、「できもしない空約束」をつい口走ってしまう。人格的な脆弱性においてここまで未成熟な為政者をこれまで戦後日本にはいたことがない。このような為政者の登場を日本の政治プロセスは経験したことがないし、予測してもいなかった。だから、そういう人間が万一出て来た場合に、どうやってこの為政者がもたらす災厄を最小化するかという技術の蓄積がない。

 アメリカは、その点がすぐれていると思います。デモクラシーというのは、つねに「国民的な人気があるけれど、あきらかに知性や徳性に問題がある人物」を大統領に選んでしまうリスクを抱えている。アメリカでは、建国の父たちが、憲法制定時点からそのリスクを考慮して、統治システムを設計した。「問題の多い人物がたまたま大統領になっても、統治機構が機能し続けられる」ようにシステムが作られている。

アメリカのデモクラシー』を書いたアレクシス・ド・トクヴィルアメリカを訪れたときの大統領はアンドリュー・ジャクソンでした。トクヴィルはジャクソンに面会して、このように凡庸で資質を欠いた人物をアメリカ人が二度も大統領に選んだことに驚いていますけれど、同時に、このような愚鈍な人物が大統領であっても統治機構が揺るがないアメリカのデモクラシーの危機耐性の強さに対して称賛の言葉を書き記していました。

 いまでもそうだと思います。ドナルド・トランプは知性においても徳性においてもアメリカの指導者として適切な人物とは思えませんけれど、とにかくそれでもアメリカのシステムは何とか崩れずに機能している。議会や裁判所やメディアが大統領の暴走を抑止しているからです。

 アメリカ人は政治に大切なものとして「レジリエンス(復元力)」ということをよく挙げますけれど、たしかに、ある方向に逸脱した政治の方向を補正する復元力の強さにおいては、世界でもアメリカは卓越していると思います。そして、いまの日本の政治過程にいま一番欠けているのは、それだと思います。復元力がない。

 日本の場合、明治維新以後は元老たちが総理大臣を選んできました。非民主的なやり方でしたけれど、「国民的人気はあるけれど、まったく政治的能力のない人間」が登用されるというリスクは回避された。戦後の保守党政治でも、「長老たち」の眼鏡にかなう人物でなければ首相の地位にはつけなかった。でも、そういう「スクリーニング」の仕組みはもう今の自民党では機能してないですね。(...)

 彼の生育環境がどうであったか、どのようなトラウマを抱えていたのか、そういったことを心理学的に分析することは安倍政治を理解するためには、いずれ必要になると思います。でも、問題は彼の独特のふるまいを説明することではなくて、嘘をつくことに心理的抵抗のない人物、明らかな失敗であっても決しておのれの非を認めない人物が久しく総理大臣の職位にあって、次第に独裁的な権限を有するに至っていることを座視している日本の有権者たちのふるまいを説明することの方です。いったい何を根拠に、それほど無防備で楽観的にしていられるのか。僕にはこちらの方が理解が難しい。どうして、彼のような人物が政治家になれ、政党の中で累進を遂げ、ついに独裁的な権限をふるうに至ったのか、それを可能にした日本の統治機構有権者の意識の方に関心がある。

 これは安倍晋三という政治家個人の問題ではなくて、日本のデモクラシーの制度の問題だからです。この六年間、ずっと政権批判をしてきましたけれど、最終的に、安倍晋三という個人を分析してもあまり意味がないというのが僕の得た結論です。彼を「余人を以ては代え難い」統治者だと見なしている多くの日本人がいるわけですけれど、そのような判断がいったいどういう理路をたどって成立するのか、その方に僕は興味がある。安倍さんはいずれどこかの時点で首相の地位を去る。でも、彼を独裁的な権力者にして担ぎ上げた政治体制と国民意識がそのあとも手つかずで残るなら、いずれ第二第三の安倍晋三が出てくることを防ぐ手立てがない。(...)

 彼を担いでいるのは「対米従属マシーン」という政官財学術メディアを巻き込んだ巨大なシステムです。彼らは日本の国益よりアメリカの国益を優先的に配慮することによって、アメリカから「属国の代官」として認証されて、その地位を保全されている。清朝末期にいた「買弁」と機能的には同質のものです。

 ただ、清末の買弁が自分たちは「悪いこと」をしているという犯意があったのに対して、日本の対米従属マシーンのメンバーたちにはその意識がありません。彼らは「アメリカの国益を優先的に配慮することが、日本の国益を最大化することだ」ということを本気で信じているか、あるいは信じているふりをしている。だから、主観的には罪の意識はないのです。日本のために、国土と国民を守るためにアメリカに従属していることのどこが悪い、と自分を正当化することができる。

 もともとこの仕組みは「対米従属を通じての対米自立」というきわめてトリッキーな戦後日本の国家戦略の産物だったわけです。最終目的はあくまで「対米自立」だった。吉田茂の時代から田中角栄の時代まで、サンフランシスコ講和条約から、沖縄返還まで、その軸はぶれていないと思います。

 でも、安倍政権では、もう「対米自立」は国家目標としては掲げられていない。「対米従属という手段」がどこかで自己目的化した。対米従属マシーンのメンバーであることによって国内での高い地位と高額の収入を約束されている限り、彼らにしてみたら、対米従属はエンドレスで続いて欲しい「ステイタス・クオ」であるわけです。

 ふつうの国の統治者は自国益を最優先するけれど、安倍政権は自国益よりもアメリカの国益のほうを優先する。日本国民から吸い上げた税金をアメリカの軍隊や企業にどんどん注ぎ込む。日本の国内産業の保護育成を犠牲にしても、アメリカの企業のために市場を開放する。アメリカの国際政策はどんな不細工なものでももろ手を挙げて賛成する。世界を見渡してみても、これほどアメリカにとって便利な政府は存在しない。だから大事にして当然です。(...)

 アメリカにとって、安倍晋三というのは一面ではきわめて好都合な政治家だけれども、危険な政治家でもある。集団的自衛権を発動して、アメリカの海外派兵の「二軍」として働くこと、アメリカ製の武器をどんどん買ってくれること、巨額の「ホスト・ネーション・サポート」予算で米軍基地を維持拡充してくれることなどは米軍にとっては大変好ましいことでしょうけれど、そういう日本の「軍事優先」がどこかで節度を超えて、軍事上のフリーハンドを要求するようになると、それはアメリカにとっては東アジアに新たなリスク・ファクターが出現することを意味する。

 もし、改憲が「アメリカから押し付けられた憲法」を否定するだけでなく、アメリカの統治原理そのものを否定することを意味するとしたら、ホワイトハウスもいい顔はしないでしょう。その点では、アメリカは必ずしも一枚岩ではない。日本を実質的に支配しているのは「アメリカ」というより、端的に米軍とそれにつらなる軍産複合体です。対米従属といいますけれど、実質的には日米合同委員会を通じて日本をコントロールしているのは米政府ではなく在日米軍です。そして、米軍の意向は必ずしもアメリカ人すべての意向ではない。当たり前です。現に、『ニューヨークタイムズ』のようなリベラル系のメディアは一貫して安倍内閣ナショナリズム改憲志向や慰安婦問題への取り組みを批判してきた。

 改憲で日本が平和主義を捨てることを望んでいる隣国はアジアにはいません。改憲を強行すれば、当然中国韓国はじめてアジア諸国との外交関係は緊張する。そのようにして西太平洋の地政学的安定を損なうことをおそらく多くのアメリカ人は望んでいない。

 アメリカからすれば「いまで十分」ということだと思います。平和主義国家としては桁外れの防衛予算を組んで、アメリカ製の兵器を買ってくれている。これ以上好戦的な国になってもらうことはない。アメリカの本音は、「日本は黙ってアメリカの言うことを聞いていればよい」ということに尽くされると思います。

 僕たちは忘れがちですけれど、アメリカにとって日本は太平洋戦争で二九万人のアメリカ兵を殺した国です。日本では『鬼畜米英』はもう死語ですけれど、『リメンバー・パールハーバー』は今でもアメリカでは感情喚起力のあるスローガンです。日本は属国だけれど、かつての敵国なのです。属国として厳しい支配下においているのは、ほんとうのところはこの「おべっかつかい」を信用していないからです。この感情的な非対称を日本人は忘れているんじゃないですか。

保守主義と既得権益

保守主義というものも、場所によって、時代によって、意味が違うだろう

一面だけをとらえる話になるが、一つの側面として、

既得権益の保護があげられると思う

自分の既得権益を守ってもらう代わりに

他人の既得権益をも尊重する

 

誰か新参者が権益の分与を要求した時には

固いルールを作り対応する

 

それはそれで安定した世界である

 

新参者が、新しい世界で活躍しているのは問題ないはずだ

新参者が、古くからの者の権益を変化させるときには強く反応する

だから、新参者は、まったく新しい世界と利益を切り開けばよい

その原則だけをきちんと守ってくれれば、保守主義者としても、異論はないのだろう

テロメア

スコットランド生物学者の学説。 動物の細胞には遺伝子が存在する。それが細胞分裂する際に、その両端のテロメアという部分が短くなり、やがてなくなると分裂は止まる。 これが、老いである。 しかし、リング状の遺伝子であればそれが短くなる事は無く、生殖は出来ないが理論上不死である。 彼によれば、確率からそんな人間が今までに5人は生まれているという。 彼らは、今どこに居るのか?”

呉秀蘭

素粒子物理学に「3つの歴史的発見」をもたらした女性、呉秀蘭が教えてくれること
素粒子物理学の標準モデルの確立に大きく貢献し、2018年のノーベル物理学賞の候補とも目された女性がいる。欧州原子核研究機構(CERN)の研究員である呉秀蘭だ。香港で生まれて貧困のなかで育った少女は、世界を変える「3つの大発見」をいかに成し遂げ、研究と家庭とをどう両立させてきたのか。その素顔に迫った。

マリア・ゲッパート=メイヤーは1963年、原子核の殻構造を解明した研究でノーベル物理学賞を受賞した。もし異なる歴史が刻まれていたら、メイヤーに続いてノーベル物理学賞を受賞していたもしれない女性のひとりが、呉秀蘭(ウー・サウラン)だろう。

呉はウィスコンシン大学マディソン校のエンリコ・フェルミ・ディスティングイッシュト・プロフェッサーである。同時に、大型ハドロン衝突型加速器LHC)を擁する欧州原子核研究機構(CERN)で実験を行う研究員でもある。高エネルギー物理学の分野において、1,000本以上の研究論文に呉の名前は登場する。

また過去50年以上にわたり、この分野の最も重要な実験6件に貢献してきた。そして、若いころに自分で設定した「少なくとも3件は大発見をする」という、とうていあり得ないような目標さえも達成してしまった。

素粒子物理学における大発見を連発
呉は、第4のクォーク[編註:陽子や中性子などを構成する最も小さい単位である素粒子の一種]の存在を示すジェイプサイ中間子を観測した2グループのうちのひとつの主要メンバーだった。そのクォークは現在ではチャームと呼ばれている。

1974年のこの発見は「11月革命」として知られる。そして素粒子物理学における標準モデルの確立につながる大手柄となった。

70年代後半には、素粒子の衝突によって飛び散るエネルギーの3つの「ジェット」を識別するために、呉は計算と分析の大半を行った。これはグルーオン、すなわち陽子と中性子をつなぎとめる強い力を媒介する粒子の存在を示す。科学者たちが、光の光子が電磁気力を伝えることを認識してから初めて、力を伝達する素粒子を観測したものだった。

呉はその後、2012年にヒッグス粒子を発見したLHCでのふたつの共同研究のうち、アトラス実験[編註:世界最高のエネルギーをもつ陽子-陽子衝突の実験から、宇宙を支配する物理法則を解明するもの]のグループリーダーのひとりとなり、標準モデルの最後の1ピースを埋めることになった。呉はいまでも標準モデルを超越し、物理学を前進させる新たな素粒子を探し続けている。

貧困のなか米国へ留学
呉秀蘭は第二次世界大戦中に日本占領下の香港で生まれた。呉の母は裕福なビジネスマンの6番目の内妻だった。夫だった男は、呉が子どものときに彼女とその母、呉の弟を捨ててしまった。

呉はひどい貧困のなかで育ち、米屋の裏手でひとり寝起きした。母親は読み書きができなかったが、移り気な男たちに頼らずとも生きてゆけるよう、娘に教育を受けさせ続けた。

呉は香港の官立学校を卒業すると、米国の50の大学に願書を出し、ヴァッサー大学から奨学金を獲得して入学した。渡米したときの所持金は、わずか40ドル(現在のレートで約4,500円)だった。

呉はもともと芸術家を目指していたが、マリー・キュリーの伝記を読んで物理学に興味をもった。在学中、夏のあいだはロングアイランドのブルックヘヴン国立研究所で実験を行った。そして、ハーヴァード大学の大学院に入学した。

研究グループではただひとりの女性で、研究会が行われる男子寮への立ち入りが禁止されていた。そのとき以来、呉は物理学の世界に全員の居場所をつくることに尽力し、男女60人以上の博士号取得を指導してきた。

本記事を掲載したサイエンス誌『Quanta Magazine』は2018年6月初めのある晴れた日、クリーヴランドの灰色のソファーで呉秀蘭にインタヴューを行った。呉は標準モデルの誕生50周年を記念したシンポジウムでグルーオンの発見について招待講演をちょうど終えたところだった。

本記事ではインタヴューの内容を要約し、編集を加えている。

──あなたは世界最大規模の実験を行い、多くの学生たちを指導し、マディソンとジュネーヴを行き来していますね。普段の1日はどんな感じですか?

とても疲れます! CERNのフルタイム研究員ですが、ウィスコンシン大学マディソン校にもかなり頻繁に通っているので、移動がとても多いのです。

──そんな生活を、どのように実現させているのですか?

重要なのは、この生活に全面的に身を捧げていることだと思います。夫の呉大峻も、ハーヴァード大学理論物理学の教授をしています。まさにこの瞬間も、夫はわたしより忙しく働いていて、その大変さは想像を絶するものです。夫はヒッグス粒子の崩壊について計算を行っています。とても難しい研究です。でも、夫が研究に打ち込めるよう応援しています。歳をとったときに、そのほうがメンタル面にいい影響を及ぼすからです。だから、わたしも一生懸命働くのです。

──かかわった発見のなかで、特に気に入っているものはありますか?

グルーオンの発見は、本当に素晴らしい経験でした。そのときまだ2年目か3年目の助教授でした。共同研究チームの主要メンバーのなかでいちばん若かったので、とてもうれしかったです。

──グルーオンは光子以来、初めて発見された「力を運ぶ素粒子」でした。弱い力を運ぶ素粒子であるWボソンとZボソンはグルーオンの数年後に発見され、発見した科学者たちはノーベル賞を受賞しました。グルーオンの発見ではなぜノーベル賞を受賞できなかったのでしょう?

それはノーベル委員会に聞いてください(笑)。ですが、わたしの考えならお伝えできます。ノーベル賞を同時に受賞できるのは3人だけです。そしてグルーオンの実験には、わたしのほかに先輩の物理学者が3人いました。彼らはとてもよくしてくれました。

ですが、わたしは「すぐにグルーオンを探す」と主張して、自分で計算を行いました。理論物理学者と話すことさえしませんでした。理論物理学者と結婚していても、理論物理学者がこうしなさいと言う内容にはまったく注意を払っていなかったのです。

──どうして、ひとりで計算することになったのですか?

成功したければ、素早く動かねばなりません。でも同時に、いちばん初めに取り組む者である必要もあります。ですから、計算を行っておいて、ハンブルクにある高エネルギー加速器・高エネルギー物理学の研究所である、ドイツ電子シンクロトロン(DESY)で新しい粒子加速器の運転が始まったらすぐに実験を行えるよう備えていたのです。

グルーオンを観測し、粒子の3つのジェットからシグナルを認識できるかを確かめるためです。当時はジェットという概念が数年前に提唱されたばかりで、グルーオンのシグナルがはっきりしているか確証がありませんでした。でも、それがグルーオンを発見する唯一の手段のようでした。

──呉さんはヒッグス粒子の発見にも携わっていますね。標準モデルにおいて、ほかの粒子に質量を与える粒子です。ヒッグス粒子を発見した実験は、呉さんがかかわったほかの実験と比べて、どのような違いがありましたか?

ヒッグス粒子を発見するために、ほかのどの研究よりもたくさん、長く時間を費やしました。30年以上も研究を続け、次々に実験を行ったのです。ヒッグス粒子の発見に大きく貢献したと思っています。

でも、CERNでのアトラス実験の共同チームはとても大規模で、個々の貢献など語れません。実験にかかわった人は3,000人にのぼるのです。誰が何かを主張できるでしょう? 昔はいまより、もう少しゆとりがあったのですよ。

──物理学において、呉さんが研究を始めたころよりも女性研究者は働きやすくなっていますか?

わたしにとっては違いますが、もっと若い女性にとっては働きやすくなっていると思います。資金の提供元となる機関や制度には、若い女性を支援しようという流れがあります。これは素晴らしいことだと思います。

でも、わたしのような人間にとって、状況はより厳しいものになっています。わたしは難しい時代をずっと生きてきました。そしていまでは、ほかの人が「なぜあなたを特別扱いしなければならないのか」と言うような評価が定着してしまっているのです。

──若かりしころの指導者はどなたでしたか?

DESYでグルーオンを探しているとき、ビョルン・ヴィークは本当に助けてくれました。

──どのようにですか?

ウィスコンシン大学で働き始めたとき、わたしは新しいプロジェクトを探していました。グルーオンの存在を最もはっきりと示してくれそうだった、電子−陽電子衝突に興味がありました。そこで、スタンフォード大学SLAC国立加速器研究所でこのような実験を行った、ウィスコンシン大学の別の教授に相談したのですが、彼はわたしとの共同研究に興味を示しませんでした。

そこで、わたしはDESYの新しい電子−陽電子衝突型加速器のプロジェクトに参加しようとしました。JADE実験[編註:検出器の開発を行った国、日本(Japan)、ドイツ(Deutschland)、イギリス(England))の名を冠した]に参加したかったのです。そこで働いている友人が何人かいましたので、わたしはドイツに行き、そして実験に参加する準備がすっかり整いました。

ところが着いてみると、誰もわたしのことをグループの著名な教授に伝えておいてくれなかったと聞かされました。友人に電話をかけると、「あなたを受け入れられるかわかりません。ぼくは1カ月間、休暇をとるんです。戻ったら電話します」と言われました。ものすごく悲しかった。だってすでにドイツのDESYに来てしまっていたのですよ。

でも、そこでわたしはビョルン・ヴィークのもとへ駆け込みました。ヴィークはTASSOという別の実験を率いていました。ヴィークに「こんなところで何をしているのですか?」と聞かれ、「JADE実験に参加しようとしたのですが、受け入れてもらえなかったのです」と答えると、ヴィークは「こちらで話をしましょう」と言って、すぐ翌日には受け入れてくれたのです。

その後の顛末は次のようになりました。JADEはその後、実験施設を故障させてしまい、グルーオンへの3つのジェットのシグナルを観測することができなかった。しかし、わたしたちTASSOが初観測に成功していたのでした。このことから、人生で何かうまくいかないことがあっても、ほかのことがうまくいくのだと学びました。

──ネガティヴな出来事をポジティヴなものに確実に変えたのですね。

はい。同じことは香港を発って米国の大学に行ったときにも起こりました。米国領事館にあった大学の案内を端から端まで見て、50の大学に願書を出し、すべての願書に「全額の奨学金と賄い付きの寮が必要です」と書きました。お金がなかったからです。

4つの大学から返事が来ましたが、そのうち3つから入学を拒否されました。ヴァッサー大学はわたしを受け入れてくれた唯一の大学でした。そして応募したなかで、いちばんの大学だということがわかったのです。

最後までやり抜けば、何かよいことが起きる運命にあるのです。「懸命に働いて判断力にも優れていなければならない」というのが、わたしの哲学ですが、同時に幸運ももち合わせている必要があります。

──本来は男性に問うべきであるにもかかわらず、これまで誰も質問したことがなく、不公平な質問であることを承知であえて伺います。より多くの女性が物理学を学ぼうと触発され、キャリアとして物理学を考えるためには、社会は何ができるのでしょうか?

専門分野である高エネルギー実験物理学についてだけなら言えることがあります。この分野は女性にとって非常に厳しい分野だと思います。その一部は家族の問題だと思います。

夫とは、夏のあいだを除いてかれこれ10年は一緒に住んでいませんでした。子どもも諦めました。子どもをもうけることを考えていたころは、ちょうど終身在職権と補助金を得られそうなときで、妊娠したらそのいずれも失ってしまうのではないかと恐れました。実際に子どもをもつことよりも、妊娠中に学科内を歩き回って会議に出ることのほうが心配だったのです。ですから、物理学を修めることは家族にとって、本当に、本当に大変だと思います。

──その大変さは現在でもまだあると思います。

そうですね。でも若い世代では違っています。いまでは、女性を支援する学科はよい学科に見えます。よく見られたいがためだけに支援していると言いたいのではないのですが、もはや女性に対して積極的に戦いを挑んではいないのです。

それでもまだ大変でしょう。高エネルギー実験物理学の分野は特にそうです。移動がとても多いので、家庭をもつことや生活が難しくなるのだと思います。理論物理学のほうがずっと取り組みやすいでしょう。

──呉さんは素粒子物理学の標準モデルの確立に大きく貢献してきました。好きなところや嫌いなところはどんなところですか?

標準モデルがありのまま機能しているのは、ただ驚くばかりで、素晴らしいことです。毎回、標準モデルで説明されていないものを探そうとしても、見つからないところが気に入っています。標準モデルが、探すべきでないと教えてくれるからです。

ですが、わたしの時代に立ち戻ると、まだ発見も確立もされていないものが本当にたくさんありました。現在の問題は、すべての物がお互いに美しくフィットして、標準モデルがとても確かなものになっているということです。ジェイプサイ中間子を発見したころを懐かしく思います。誰もそのことを予測しておらず、それが何なのか、手がかりをもっている人も本当に誰もいなかったのですから。

でも、おそらくそのような驚きの日々が終わることはないでしょう。

──標準モデルが自然のあり方を完全に説明するわけではないのは周知のとおりです。重力やニュートリノの質量、ダークマター(宇宙における質量の7分の6を構成すると考えられている目に見えない物質)の説明はしていません。標準モデルを超越する、お気に入りの概念はありますか?

いま、ダークマターを構成している粒子を探しています。ただひとつ行っていることは、CERNでのLHCの実験への参画です。でも、加速器ダークマターを探すうえでよい手段かもしれませんし、そうでないかもしれません。ダークマターは銀河に存在しており、ここ地球では見えないのです。

それでも、わたしはトライするつもりです。ダークマターが既知の粒子と何らかの相互作用をもつとするならば、LHCでの衝突を通して生み出せる可能性もあります。でも、弱い相互作用をもつダークマターは、アトラス実験の検知機に見える痕跡を残さないでしょう。ですから、実際に見えているものからダークマターの存在を直観しなければならないのです。

現在はダークマターのヒントを探すことに集中しています。単体のヒッグス粒子を生み出す衝突に見られる、エネルギーと運動量の喪失のかたちから探っています。

──ほかに研究しているものはありますか?

最も重要なタスクは、まったく新しい素粒子であるヒッグス粒子の性質を理解することです。ヒッグス粒子は、わたしたちが知っているほかのどの粒子よりも対称性[編註:何らかの刺激を与えたときに物理法則が変わらないこと]があります。これまで発見されたなかで、唯一スピン[編註:量子力学上の概念で、粒子がもつ固有の角運動量を指す]をもたない粒子でもあります。

わたしが所属する研究グループでは、直近のヒッグス粒子トップクォークの相互作用の観測に大きく貢献しました。この観測は本当に挑戦的なものでした。5年間の衝突データを調べ、先進的な機械学習技術や統計学にも集中的に取り組みました。

ヒッグス粒子の研究とダークマターの探索に加え、わたしたちの研究チームはシリコンピクセル検出器、(潜在的に興味深い衝突を識別する)トリガーシステムや、アトラス実験の検出器のコンピューターシステムにも貢献しています。LHCが現在、アップグレードのために運転を停止しているので、そのあいだにこれらの装置の改良も行っています。また、近い将来に量子コンピューティングを導入して、データ分析を開始する予定です。とてもわくわくしています。

──キャリアをスタートさせたばかりの若い物理学者に対して何かアドヴァイスはありますか?

今日の若い研究者のなかには、すこし保守的すぎる人もいるようです。言い換えると、彼らは主流ではないことを行うのを恐がっているのです。結果が得られないリスキーなことをするのを恐れています。それを非難はしません。それが物理学界のカルチャーのあり方ですから。わたしからのアドヴァイスは、最も重要な実験が何であるかを把握し、忍耐強くなることです。いい実験というのはいつも時間がかかるものなのです。

──でも、全員がそんなに時間をかけられるわけではありません。

その通りです。若い学生たちにはたいていの場合、革新的に生きる自由などありません。イノヴェイティヴに生きる自由は、非常に少ない時間で実験を行い、成功を収めて初めて、手に入るものなのです。また、いつでも忍耐強く探求だけに没頭できるわけでもありません。共同研究者から認められる必要があります。推薦状を書いてくれる人が必要なのです。

できることといえば、懸命に働くことだけです。でもわたしは同時に、学生たちにこう言っています。

「コミュニケーションをとるように。自分自身の殻に閉じこもってはいけません。いいアイデアを自分のなかだけではなく、グループ内でも思いつけるよう努力してください。革新を起こすよう努めてください。簡単なことは何もないでしょう。でも何か新しい発見をするということは、それだけの価値があることなのです」

本記事は、Simons Foundationが発行するサイエンス雑誌『Quanta Magazine』の許諾のもと、翻訳・転載した。Simons Foundationは数学や物理学、生命科学分野の研究開発や動向を取り上げ、科学の大衆理解を拡大を目的とする財団である。

「裁判で真実を明らかにする」というナイーヴな誤解

「裁判で真実を明らかにする」というナイーヴな誤解

裁判が恨みを晴らす場になっている面があり、ただ単に苦しめたいだけ。長期の裁判は実質、相手を苦しめるためには役に立っている。しかし一方、もし相手が不誠実であれば、弁護士に任せたままで何も気にしないで生きているので、何年かかろうと、あまり苦しみを感じない。

所詮、素人の裁判官に正しい判断ができるわけはなく、原告、被告が理屈をこねて、どちらが裁判官に正しいという印象を与えるかで決まります。米国の裁判映画と同じように、どのような印象を与えるかで決まるので、裁判とは真理を明らかにする場ではない

裁判は原告、被告双方の言い分を裁判官が聞いて、どちらの言い分に理があるか判断します(正しいかどうかではありません)。色々理屈をこねくり回して相手を言い負かし、裁判官を納得させた方が勝つのです。ですから相手方の言い分を逐一つぶさないといけません。

裁判官が重視するものはどんなに古くても東大や京大などの教授が監修した本なので、引用は、そういうものから重点的に集めます。また教授などの肩書に弱いです。

下村博文元文科相が党改憲本部長に起用

伊藤惇夫氏が“アベ友”の下村博文文科相が党改憲本部長に起用されたことについて、石破氏に「下村さん、憲法論議を熱心にやったことがあるんですか?」と尋ねると、石破は軽く頭を振りながら「私の記憶にはない」とキッパリ言い切った