2006-01-01から1年間の記事一覧

才能について

Don't waste your talent. 才能という賜物を大事にしなさい。 天与のものを汚したり、浪費してはいけない。 絶えず勉強して、才能を育てなさい。

認知療法。しかし自分を訂正することはかなり難しい 。

物事を認知できれば訂正できるかという問題。 たとえば、自分の悲観的思考の傾向を認識できれば、訂正できるだろうとする考え。認知療法の基本コンセプトですね。ブリジストン美術館でわたしはゴッホを見る。ピカソもセザンヌもモネもルノアールも有島もエジ…

人間の知識と感覚の限界。抱朴子より。

抱朴子 より 牛の蹄のあとの水溜りで泳いでいる、一寸ばかりの ぼうふらは、天下に広い四つの海があるなどとは 夢にも思わないであろう。 果物のたねの中を匍い廻っている、針先ほどの木食い虫 は、世界はこれがすべてだと思うであろう。 彼らに果てしなき海…

Mad Cow

Mad Cow 以下、全文引用です。Testing for Mad Cow Published: April 16, 2006To the Editor: ''Stop: Don't Test Those Cows!'' (editorial, April 5) asks a good question: Why doesn't the Department of Agriculture allow the private testing of catt…

BSE問題

最近個人的に気になっているのは、BSE問題の認知である。 ある人はテレビで「嫌なら食べなければいいだけで、個人の選択の問題」 とまで発言した。 別の人は、「交通事故の確率より低いからわたしは気にしない」と語った。 まあ、大いに驚いた。 問題はもっ…

いのちがけの愛

いのちがけの愛 「あなたの妻を、いのちがけの愛で愛しなさい」 出典不明簡単で自明、しかししばしば忘却される。 ここに書いておいて、忘れないようにしよう。

私の過ち、私の過ち、目に余る私の過ちによって

メア・クルパ 朝日新聞。アーサー・ビナード「日々の非常口」よりラテン語によるカトリックの懺悔の祈りの一句。 Mea culpa,mea culpa,mea maxima culpa. (私の過ち、私の過ち、目に余る私の過ちによって) メア・クルパ メア・クルパ メア・マキシマ・クル…

時がある

時がある 伝道者の書3章1−11天の下では、何事にも定まった時期があり、 すべての営みには時がある。 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。 植えるのに時があり、 植えた物を引き抜くのに時がある。 殺すのに時があり、いやすのに時がある。 くずす…

愛された分しか愛せないとは思わない

愛された分しか愛せないとは思わない 人は愛された分しか愛せない。 そんな言い方がある。わたしはそうは思わないが。第一、神はわたしたちを無限に愛して無限に許している。 だからわたしたちは無限に隣人を愛することだってできるはずだ。しかしまた一方で…

大伴家持 春の愁い

大伴家持 春の愁い 職業的技巧の二首鶯の 鳴き散らすらむ 春の花 何時しか君と 手折りかざさむ鶯の 来鳴きとよもす うめの花 かざしにはせむ 君と手折りて 春の愁いの三部作うらうらに 照れる春日に ひばり上がり 心かなしも 一人し思えばわが宿の いささむ…

あの有名な「子は親の鏡」

詩「子は親の鏡」ドロシー・ロー・ノルト けなされて育つと、子どもは、人をけなすようになる とげとげした家庭で育つと、子どもは、乱暴になる 不安な気持ちで育てると、子どもも不安になる 「かわいそうな子だ」と言って育てると、子どもは、みじめな気持…

司馬遷

暑い夏になりました 司馬遷がすべてを記録したことを思い出します

潜在的マゾヒスト

Lascia chi'o pianga(私を泣かせてください)はヘンデルのオペラ「Rinald」の中で歌われるアリア。 アルミレーナはLascia chi'o pianga la dura sorte.「過酷な運命に涙することをお許しください」と歌う。 涙することにさえ、許可を求めている。

消極的サディスト

消極的サディスト。 崩壊・消滅・腐乱を承知の上で、ただ観察を続けている。救うことも出来るが、腐乱を見ていたいのだ。 そのようなサディスト。

解剖学は構造を研究する学問である。そして自意識の謎。

医学部の最初の講義。生理学は人体の「機能」を研究する。 解剖学は「機能」の裏付けとなる「構造」を研究する。 「機能」には必ずその裏付けとなる物質的「構造」がある。養老先生が講義で言っていたことを覚えている。ぼそぼそ言っていた。 「構造」とは何…

ひゃくねんたったらだあれもいない(俵万智)

ひゃくねんたったらだあれもいない(俵万智)そう、百年経ったら、誰もいないのだ。楽に行こう。

日本画らしさ

花を描いた日本画を見ていた。 そこには確かに花の花らしさがあり、 心を慰めてくれた。 花そのものではなく花の花らしさが わたしは好きなのかと考えていた。 しかし気付いたのは、 わたしは日本画の日本画らしさを 愛しているのではないかということだった…